痛風の歴史
痛風(第7章)

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かつては「帝王病」とも呼ばれた痛風の歴史

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痛風 (7章-1) 痛風が「現代病」といわれるゆえん

痛風患者はかつて、アルコールを好み、おいしいものをたくさん食べる人に多いとされ、
「ぜいたく病」と呼ばれていました。
しかし近年、患者は増え続け、今ではその数が100万人以上といわれています。
誰がなってもおかしくない一般的な「現代病」となっています。

約50年前の患者数はわずか1,840人

 欧米ではかなり昔から知られていた痛風ですが、日本で初めて痛風の症例が発見されたのは1898年(報告は1931年)とされています。当時はまだ、日本では痛風はまれとされていました。
 日本で痛風が増え始めたのは戦後で、高度経済成長に伴い飽食の時代へと向かっていく時期と重なります。とはいえ、1965年に報告された患者数はわずか1,840人ですから、当時としてもまだまだマイナーな病気だったといえます。

わずか20年で約138倍に

 ところが、現在通院している病名などを本人に聞く形で行われる「国民生活基礎調査」によると、20年後の1986年には、痛風で通院中の人は約25万4,000人と急増しています。これは、20年間で約138倍に増えた計算です。その後はほぼ右肩上がりに増加し、2001年に69万6,000人、さらに2013年には106万3,000人と、ついに100万人を突破しました。

通院中の痛風患者の推移

 出典:厚生労働省「国民生活基礎調査」などをもとに作成  その一方で、痛風の診断を受けていない高尿酸血症の人の数はおよそ1,000万人ともいわれています。痛風・高尿酸血症はまさに「コモン・ディジーズ」(日常ありふれた病気)といえます。このようにありふれた病気になった背景に、現代的な生活習慣や環境などが挙げられ、それらが密接に関連して広がっているという意味で、「現代病」と呼ばれているのです。

「帝王病」と呼ばれた時代も

 痛風は患者数の少なかった頃は、「ぜいたく病」と呼ばれていました。冒頭で触れた通り、ぜいたくな食生活をしている人に多いとされていたことに起因します。
 また、ぜいたく病のほかに「帝王病」と呼ばれることもありました。世界ではその昔、王様や特権階級の人の病気だったというのが帝王病と呼ばれたゆえんです。マケドニアのアレクサンダー大王、神聖ローマ帝国皇帝のカルロス5世、プロシア国王フリードリヒ大王、フランスのルイ14世なども痛風に苦しめられたといいます。
 ぜいたく病や帝王病と呼ばれた病気が、今やありふれた現代病なのですから、時代の変化が病気の概念まで変えてしまったといえるでしょう。

痛風医療に携わる研究者や臨床医も増加

 痛風患者が増えるにつれ、痛風を専門とする研究者や医師も増えていきました。日本では1977年、痛風診療に携わる大学の研究者などにより「尿酸研究会」が発足します。この研究会は1988年に「日本プリン・ピリミジン代謝学会」へ、さらに2013年には「日本痛風・核酸代謝学会」へと発展し、2008年以降は一般社団法人として活動しています。同学会には、痛風に関する診療経験や研究実績のある医師を「認定痛風医」として認定する制度もあります。また現在、医療現場で広く活用されている「高尿酸血症・痛風の治療ガイドライン」は、同学会内のガイドライン改訂委員会が改訂を重ねたものです。
 一方で、今では専門科でなくても関連する診療科の医師であれば、一般的な痛風診療ができるような環境が整っています。また、対症療法中心だった昔とは違い、合併症予防や本人の価値観などに配慮した診療が行われるようになったのも、痛風がぜいたく病から現代病へ変わるのに伴った、大きな変化といえそうです。

痛風 (7章-2) 世界における痛風の歴史

痛風治療の形跡をたどると、ヒポクラテスの時代までさかのぼります。
つまり痛風は、およそ2500年前から治療が必要な病気として認識されていたことになります。
世界に名だたる芸術家や科学者なども苦しめられたと伝えられています。

医学の父ヒポクラテスの時代から存在

 ヒポクラテスは紀元前5世紀に生まれたギリシャの医師で、それまでの呪術や迷信と結びついた医療と違い、健康や病気の科学的な分析結果に基づく医療の基礎を作りました。その意味で「医学の父」と呼ばれています。
 このヒポクラテスが、痛風治療薬としてイヌサフランから取れるコルチカム(コルヒチン)を記載していたというのですから、痛風の歴史は現代医学の歴史とともにあるといっても過言ではありません。コルヒチンは現在でも痛風治療に使われています。
 帝王病といわれた時代があったように、痛風は、古くはマケドニアのアレクサンダー大王など、多くの帝王を悩ませました。また、芸術家のミケランジェロ、文学者のミルトン、宗教家のルター、科学者のフランクリン、ニュートン、ダーウィンなど、世界的に著名な人物も、痛風患者だったと伝えられています。

痛風だった疑いが強い主な著名人

 ミケランジェロやニュートン、ダーウィンといった有名な偉人も痛風だったといわれている。

実験医学の創始者ガレンが不摂生との関連を指摘

 痛風と生活習慣との関連も、紀元前2世紀にすでに指摘されていました。実験医学の創始者といわれるガレンは痛風に遺伝性があること、放蕩(ほうとう)や不摂生が関連することを書き記しています。
 症状などを詳しく記述したのは、17世紀の科学者で自身が痛風患者でもあったシデナムで、自らの症状を詳細に記録しました。同じ頃、レーベンフッケが尿酸塩結晶を顕微鏡で観察し、18世紀後半になると尿酸が発見されます。ウォラストンは尿酸結節の中に尿酸を発見し、尿酸が痛風結節の成分であることを明らかにしました。さらに1859年にはガロードが血中尿酸濃度の測定法を開発し、痛風の人の尿酸値が高いことを証明しました。20世紀になると尿酸の化学構造が解明され、複数の尿酸測定法も開発されました。
 このように昔から多くの科学者がかかわって解明してきた痛風ですが、関節にたまった尿酸塩結晶が痛風発作を引き起こすことが証明されたのは1961年と意外に最近で、日本でも痛風患者の増加が指摘され始めていた頃のことです。
一方、プリン体の代謝に関する研究は19世紀に始まります。20世紀に入ると、プリン体から尿酸が作られる代謝の過程が明らかになりました。1943年にラジオアイソトープ(放射性同位元素)を使った研究が始まると、研究はさらに進展しました。

尿酸生成抑制薬の開発者がノーベル賞を受賞

 ヒポクラテスが使ったとされるコルヒチンは、その後2000年以上にわたり痛風に効く唯一の薬として治療の中心的役割を果たしてきました。ただし、コルヒチンは患部での免疫反応を抑える薬で、対症療法としての効果しかなく、体内での尿酸代謝を改善する作用はありません。
 これに対し、尿酸の排せつを促進する作用が最初に認められたのが、リウマチの治療などに使われていたアセチルサリチル酸です。しかし、この薬は使用量によって異なる作用を示すため痛風治療には適しませんでした。その後、ペニシリンの血中濃度を上昇させる目的で開発されたプロベネシドに、尿酸値を下げる作用があることがたまたま分かり、尿酸排せつ促進薬として痛風治療に使われるようになりました。同じく尿酸排せつ促進薬であるベンズブロマロンは1965年に開発されています。
 現在、唯一の尿酸生成抑制薬として使われている薬にアロプリノールがありますが、この薬を1963年に開発したエリオンとヒッチングズの2人の研究者は、1988年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。