高血圧の歴史
高血圧(第7章)

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血圧の見える化に貢献。血圧計の発展から見る高血圧の歴史

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高血圧 (7章-1) 高血圧の治療の歴史を探る

原因を特定しにくいといわれる高血圧。
医療に従事する先代の人々は、謎多きこの病とどのように向き合ってきたのでしょうか。
海外も含め、高血圧の治療の歴史を探ってみましょう。

紆余(うよ)曲折して高血圧が白日の下に

 「血圧が高い人は死亡率が高い」という報告は、100年近く前の医学界ですでに発表されていました。アメリカの保険会社は1911年頃、保険加入者の血圧を医師に測定してもらい、心筋梗塞や脳卒中との因果関係を調査していたといいます。
 しかし、当時の医学界は高血圧を肯定する考えが主流でした。「傷ついた臓器の血流を維持するためには、高い血圧が必要」という考え方が根付いていたのです。血圧を下げると臓器の障害が進むと考えられていたため、血圧を下げる有効な方法は模索されませんでした。
 それでも1898年には、レニンというホルモンと高血圧の関係が明らかとなり、1934年になると、犬の腎動脈を細く狭くすることで血圧が徐々に上昇することも研究結果として発表されました。

日本では明治後期から大正初期に血圧測定

 日本で血圧の考え方が取り入れられたのは、明治の終わりから大正にかけてといわれています。医療行為として血圧を測定するようになったのが始まりです。
 「高血圧」という言葉も同時期に使われるようになりました。製薬会社 エーザイの創業者である内藤豊次氏は当時、現在の田辺三菱製薬である田辺元三郎商店に勤めていました。そこではドイツから輸入した日本初の血圧降下剤を新たに販売することになり、新聞広告で打ち出したのが、内藤氏が作った「高血圧」でした。「血圧高ければ命短し」というキャッチコピーも添えるなどし、血圧降下剤の売り上げは増大したといいます。

新聞に掲載されたのが「高血圧」という言葉のルーツ

企業が自社商品を広告する際、新聞に「高血圧」と使用したのが高血圧という言葉のルーツである。出典:株式会社エーザイ「エーザイの歴史」

1960年代から治療法が急激に進歩

 1946年頃になると、結核などの感染症による死亡者数が減少し、脳血管障害による死亡率が死因の第1位になります。こうして高血圧の危険性は日本で広く認知されるようになります。1950年代になると、交感神経の働きを遮断したり血管を拡張したりする作用のある薬が登場します。しかし、アメリカで実施した研究では、実験に使われる偽薬と比較し、その有用性を確認することができたものの、副作用などが起こりうることから導入には消極的でした。
 その一方で、1949年にはアメリカ・マサチューセッツ州のフラミンガムという町で、1961年には福岡県の久山町で、大規模な疫学研究がスタートします。それぞれ「フラミンガム研究」「久山町研究」と呼ばれる研究では、血圧だけではなく血液中の脂質や血糖が多くの病気と関連する点、遺伝的な素因、生活習慣との関係なども明らかになりました。これらの研究結果は今なお、重要なデータとして利用されています。
 高血圧に作用する多くの薬も登場します。1957年の利尿薬(サイアザイド系)を皮切りに、1964年にβ遮断薬、1971年にカルシウム拮抗(きっこう)薬、1975年にα遮断薬、1977年にアンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACE)、1991年にアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)が登場します。血圧をコントロールする研究と並行して次々に新薬が開発、発表されていったのです。 1960年代は治療も急速に進歩します。血圧をある程度コントロールできるようになった結果、日本では脳血管障害による死亡者数が1970年代をピークに減少しました。
 近年では日本高血圧学会が2000年に「高血圧治療ガイドライン」を発表し、日本独自の指針や治療の基本方針などを打ち出しています。さらに、遺伝子との関連を調べて高血圧予防につなげる研究や、ホルモン異常というアプローチで治療する研究なども進められており、今後の動向に期待が集まっています。

高血圧 (7章-2) 血圧計の進化がもたらした功績

血圧が私たちの健康に生かせるようになったのは、
これまでの長い年月におよぶ研究があったからです。
そこには、可視化できない血圧を数値で把握できるようにした
血圧計が大きく貢献しています。
ここでは血圧計の登場から現在までの進化の歴史を探ります。

血管に挿したガラス管で「血圧」を認識

 血圧の歴史をひもとくと、約280年前までさかのぼります。イギリスの生理学者ハーレス博士が1733年、馬の頸(けい)動脈にガラス管を挿入する実験を行い、血圧値が存在することが分かりました。横たわらせた馬の血管に長いガラス管を挿入し、血液がどこまで上昇するのかを調べたのです。
 同様の実験が人間で試みられたのは、1828年のフランスでのことでした。動脈に細い管を挿入して水銀の柱にどのくらいの圧力がかかるのかを調べました。その後はドイツで、水銀とU字管を使った血圧計が使われていますが、安全性や簡易性を必ずしも考慮していないのが実情でした。

水銀圧力計が世界的に認知

 安全で簡単な水銀圧力計による測定法が考案されたのは、1896年になってからのことです。イタリアのロッチ博士が、今なお使われることのある水銀圧力計に近い、上腕にカフを巻いて圧をかけるタイプの測定器を開発しました。
 さらに、ロシアの軍医だったニコライ・コロトロフが1905年、カフを用いて上腕の動脈を圧迫し、聴診器で血管の音を聞いて測定する方法を発明します。これにより、収縮期血圧(上の血圧)と、拡張期血圧(下の血圧)の両方を測定できるようになります。

コロトロフ法による血圧測定イメージ

 カフで上腕を圧迫し、水銀柱を使って血圧の値を読み取る。カフを緩めたときに血液が流れる音を聴診器で確認する。

 この方法は「コロトロフ法(聴診法)」と呼ばれており、間接的な血圧測定法の原型として、幅広く活用されることになります。1931年にドイツの医師がこの測定法の正確さを医学界に報告し、世界で認められました。
 1966年には、オックスフォード大学のグループが、携帯型血圧記録装置を用いた直接法によって血圧を24時間測定します。これにより人の血圧の変動する様子を記録できるようになり、血圧の有用性が認識されるようになりました。
 日本では1973年、オムロンヘルスケアが初の家庭向けとなる血圧計「HEM-1」を発売します。上腕に巻くカフのほかに、圧力ポンプと時計のような目盛りがついており、価格は当時としては高額な2万3,800円でした。1970年代後半には、家庭用のデジタル血圧計も登場しています。

血圧計による血圧測定がより身近な存在に

 日本はその後、食生活の欧米化が進むなどしたことにより、脳や心血管疾患が急増します。その一方で経済的なゆとりが生まれ、高血圧の予防や改善に対する人々の関心も高まっていきました。
 1980年代半ばになると、センサーを備えたカフが、脈波(心臓の拍動に合わせて起きる血管の振動)をもとに血圧を測定する「オシロメトリック法」を用いた血圧計が開発されます。価格が安価なうえ、簡易な使い方と測定結果の正確性が評価され、この血圧計が家庭血圧計の普及に貢献したといわれています。国内で今も発売されている24時間自由行動下血圧測定装置(ABPM)も、1980年代から開発されてきました。

24時間自由行動下血圧測定装置(ABPM)の取り付けイメージ


機器を取り付けるだけで、一定間隔で血圧を自動的に測定する。血圧の変動を把握したいケースに向く。

 この装置のおかげで、診察室と家庭での測定結果に大きな差異が見られることや、それに伴うリスクがあることなどが浮き彫りになりました。
 1990年代以降は高品質な家庭用デジタル血圧計が多く登場します。より安価で簡易な血圧計が販売され、数千円程度で購入できるものも増えました。「一家に1台」といえるほど、血圧計が各家庭に浸透していったのです。
 2008年には、24時間自由行動下血圧測定装置(ABPM)を用いた検査費に保険が適用されるようになりました。血圧計の進化とともに保険などの制度が拡充し、血圧を管理しやすい環境が整備されつつあります。